私の本棚 〜2004年

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白夜行川の深さは光る海地下街の雨森の中の海夏日初ものがたりあかんべえパンドラの娘王妃の館(上下)霧の橋五年の梅大河の一滴かずら野雅歌吉良の言い分言い分の日本史宗教を考える睡蓮の長いまどろみ命の器草原の椅子 姫椿鉄道員見知らぬ妻へ天国までの100マイル霞町物語地下鉄に乗って珍妃の井戸蒼穹の昴あふれた愛「家族狩り」白の家族永遠の仔 できればムカつかずに生きたい長崎ぶらぶら節だからあなたも生きぬいてリトルトリー沈まぬ太陽「美しい人」「柔らかな頬」「告知」二重らせんの私愛こそがすべて

[著者分類] 宮本輝浅田次郎天童荒太宮部みゆき


                    
「白夜行」 東野圭吾 集英社
 話は殺人事件の起きた日から始まる。老刑事が登場してきて、その目で見た関係者の描写が、これから始まる数々の事件を予感させる。時は過ぎ、その時殺された質屋の店主の息子亮司や、容疑を受けた女性の娘雪穂などが中学生になったとき、ある事件が起きる。そして、二人と何らかの接点を持った人々が次々と不幸な出来事に遭遇する結果となる。次第にその陰に隠された二人の間にある秘密が解き明かされるにつれ、雪穂が自分の欲しいものを手に入れるために邪悪な手段をとってきたこと、それを手助けしてきた亮司の存在が明らかになってくる。彼らの屈折した感情を育てた背景に辿り着くまでぐいぐい引っ張られたが、残りの頁が少なくなるにつれ、こちらに焦りがあったのかもしれない。最後はあっけない幕切れだった。
「川の深さは」 福井敏晴 講談社
 日本国中を震撼させたオウムの事件を素材に公安局や地下組織、北朝鮮の工作員などを絡ませ、まるで今日の日本を見ているかのような話の展開。ぐうたら警備員だった桃山の前に現れた葵と保。彼らを追う涼子との心の触れ合いをからませ、はらはらさせる戦闘場面。ダイハードにも似た展開がおもしろい。一枚のフロッピィーをめぐって対立する組織を壊滅させる企てを緻密に計算している保の頭脳と桃山の温かい人間性がほのかなヒューマニズムをかもし出す傑作。
「光る海」 津村節子 埼玉福祉会
 短編集。夫の裏切り、わがままに耐えてきた妻の小気味いい反逆。最後に思わずニヤリとする「佳き日」。看護婦として病人の希望をかなえようと付き添う旅の終わりに、息子に裏切られる寂しい女性の終焉を垣間見てしまう「短く長い旅」。さまざまな女性像を描いていて面白い。どの人物も「いるいるこんな人…」と思わせられる部分があって人物を見る目の鋭さに感服。津村節子の作品を続けて読んでみたくなった。
「地下街の雨」 宮部みゆき 集英社社
 表題の他6篇。失恋した女性の心情を巧みにとらえ、新たな故意のきっかけを作った2年前の出来事を回想するのに、小道具のネクタイが上手く使われている。街中で偶然見かけたそれをきっかけに真相が解き明かされるその展開にちょっぴり涙。女ならではの共感を覚える。
「森の中の海ー上下ー」 宮本 輝 光文社
 希美子は阪神大震災の直後、西宮市の借家から夫と共に危うく逃れ命拾いをするが、その後、夫の不倫を知り、離婚を決意する。そして、ある老婦人の山荘を譲り受け、二人の息子と移り住んだ奥飛騨の住まいに震災で親と兄を亡くし、かつて近所に住んでいたことがある姉妹を引き取ることにする。希美子がこの山荘を日本の現在の教育界にない理想の里を思い浮かべて歩み出した第一歩だった。
 その後、三人の姉妹を頼って身を寄せたちょっと問題ありの7人の若い女の子達も一緒に生活することになり、波乱含みの共同生活が始まる。
 ターハイ(大海)と名づけられた大木の元に埋められていた小さなお骨をめぐって、一人ぼっちを貫き通して死んで行った老女の人生に思いを寄せる希美子。かつて想う人と結ばれなかった女の冷徹な生き方と、それを許さなかった時代の不条理、そんな人生を余儀なくされた陰に“讒言”に翻弄された事への怒りは、現代にも向けられているように感じた。真実を覆い隠し、我々を欺いている人々がいることが暴かれている現実。人としての正しい生きかたを問いかけているように思う。
「夏日」 鳴海 章 光文社
 1979年代、東京の私立大学生の野月篤朗は未来に夢のない怠惰な下宿生活を送っていた。北海道出身の劣等感、喧騒の中の孤独、仕送りで細々と生活する暮らしぶりなど、独身の若い男の生理的な感情も如実に書かれている。友人に初めて連れて行かれたディスコで知り合ったノコ、アルバイト先の先輩、沼八やその妻亜由美との出会い、この夏、彼を取巻く状況は大きく変わろうとしていた。
 沼八の「ありがとうございますって、素直に礼を言える奴は出世するよ。小難しい挨拶なんか必要ないけど、ちゃんとありがとうっていえる奴は世間が育ててくれる。」とノコが「自由はね、孤独と引き換えだって。誰かと一緒にいたら息が詰まりそうなときってあると思うのね。たとえ相手がどんなに好きな人でも、変わらないと思う。愛と自由は両立しない…愛には拘束が付き物なのよ。」と言うくだりは特に心に残った。
「初ものがたり」 宮部 みゆき PHP研究所
 続いて宮部みゆきの作品である。
 本所深川一帯を預かる「回向院の旦那」と呼ばれる岡引茂七はさしずめ銭形平次のような男である。いくつかの事件を短編で区切ってはいるが、最初に現れる正体不明の屋台の親父をからませたり、それぞれの事件の解決法が現代ではありえない人情味にあふれておもしろい。
 3話の「鰹、千両」では大店の夫婦がかつて自分達の捨てた子を見つけ出し、その子を育てている夫婦に大金を渡そうと画策する様を描いている。受け取る方はそのことを知らず、降って沸いた運のように興奮しているが、茂七の目は鋭くその真相に迫り、育ての親に「娘と千両とどっちをとるね」と暗に今の幸せを金で売るなと教えるくだりは胸にじんと来る。
「あかんべえ」 宮部 みゆき PHP研究所
 この作品は1999年から3年間PHPに連載されたという長編だ。最初かなりの厚さに引きかけたが、読み始めるとおもしろくて、ぐいぐい読み進んだ。飽きさせることのない話の展開と、出てくるお化けのキャラクターに興味津々。
 おりんが両親と共に移った新しい住まいはいわく因縁のある店だった。周囲の人々の騒動に泣いたり怒ったりしながら、彼女だけにしか見えないお化けとのやりとりが楽しくこちらまで、「出て来て!玄之介様」と言いたくなる。こんな優しい相談相手がいると楽しいだろうな。幼いけれど、問題をしっかり見据えて解決しようとするおりんが健気だ。お化けを扱いながら暖かい風が頬をなでるような作品。
「パンドラの娘」 藤本 ひとみ 講談社
 肩のこらないエッセー集。この人の作品は初めてだが、女性の感性で共通項が多くて楽しめた。フランス革命の頃の女性像に関心が多いにあるようで、その頃の女性をモデルにした作品が多い。小説の方を読んでみたい気がする。
「王妃の館」 浅田 次郎著 集英社
 現代と過去の物語を交錯させて不思議な世界へ迷いこむ。浅田次郎の新境地、登場人物が憎めない人ばかり。個性豊かでアクもあるが、最後は人情話になっているところがおもしろい。最初はどうなるかとハラハラドキドキの連続、そして、ユーモラスな人物が登場して、笑いあり涙あり。楽しい作品だった。王様がシェフの愛で育てられると言う話はある意味、とても大事なことを示唆しているような気がする。食は人なり。あだやおろそかにしてはいけない。
「霧の橋」 乙川 優三郎著 講談社
 武士を捨て敵討ちを終えて出会った紅屋との縁で娘のおいとと夫婦になった惣兵衛が、老獪な大店に狙われて窮地に陥りそうになるのを、機知と信念で乗り越えて行くさまが痛快。
 時には染付いた武士の血が妻を恐れさせ、心の通い合わない原因となる事件も起きるが、彼がいつも本当に大事なのは何かを心に問いかけて進む行き方に共感を覚える。
 江戸時代を背景としているが現代に通じる市井の人々の生き様。それは実に色々だが、彼らなりの言い分で生きていると思えてくると誰も憎めない。父の仇と思われる女性の出現に動揺した心を静めて行く場面では涙を禁じえなかった。
「五年の梅」 乙川 優三郎著 新潮社
 表題の他に「行き道」「小田原鰹」「蟹」が収められていたが、どれも江戸時代の市井に生きる男と女の葛藤をそれぞれの人間性を浮き彫りにして共感を呼ぶ。
 どうしようもない男から逃れて一息ついたおつねが送ってきた鰹で鹿蔵が人情に目覚めて行く過程や、自分の浅薄な進言で大切な人の一生を台無しにしてしまった助之丞が、不幸な弥生母子を救い出すという結末に安堵した。たらい回しの末に愚直な岡太に巡り合い、志乃が今まで味わったことのない安らかな夫婦の絆を感じるようになる様は男と女の情の通い合いとはなにかを教えてくれる。
「大河の一滴」 五木寛之著 幻冬舎 
  五木寛之の著作は初めて読む。まるで旧知の人のような親しみを覚えた。映画の原作という観点からは全く予想外の随筆であるが、想像どおりという気もした。あの映画の底に脈々と流れていた精神を感じたから。脚本の新藤兼人の感性がすばらしかったというべきか、音楽が良かったからか、時々映画を思い出しながら読み進めた。
 親鸞や蓮如の時代に思いを馳せて現代の人の生き方をを考えさせる。あるいは、「方言は父や母からの贈り物」という章では言葉について日本人として自分たちの方言を大事にしながら、公用語としての美しい日本語と両方を使い分けることの大切さを説く。あるいは、「優雅なる下山のやり方を求めて」という章では人生を中国の故事にたとえると、青春、朱夏、白秋、幻冬となるそうだ。私もそろそろ白秋の真中にかかってきた。優雅な下山でありたい。
「かずら野」 乙川 優三郎著 幻冬舎 
 江戸時代の終わり、松代の田舎に生まれた菊子の生涯である。父に売られたお屋敷で主人に辱められた日、その父を殺した息子富冶と逃げるしかなかった彼女の翻弄される人生。夫婦になった二人は松代から江戸へ。江戸から下総国、そして、銚子へと遍歴、その間、放蕩息子富冶はいつまでもその性根を変えられずに、暗い生き方を続ける。それでも彼と離れられない女のしがらみ。最後に行きついた銚子で働く事になった菊子は旅篭の働く仲間たちの生き様に心温め、やっと立ち直って行く。男と女の微妙な結びつきを巧みに表わしていて見事である。
「雅歌」 井上 裕美子著 集英社 
中国清の時代、雍正帝の御世である。北京に戻ってきたフランと宣教師のジュリアンとの出会いからこの物語は始まる。
天主教という教えが高貴な人々にまで広まり始めていた。時の権力に圧力をかけられてもなお信心を捨てない人々とかかわることになった一人の男フラン。彼の目から見た政治と宗教の絡み合い。罪もない人々を救うことがいかに難しいか、権力という大きな力の前には正義も無力だ。人々が弾圧される様を描きながら、宗教とは?信仰とは?を考えさせられる。
この作者の作品を読むのは初めてだったが、浅田次郎の「蒼穹の昴」を彷彿とさせた。
「吉良の言い分」 岳 真也著 KSS出版 
副題は「真説 元禄忠臣蔵」言わずと知れた忠臣蔵の吉良側からの言い分である。
史実を検証し、市井の人気をあおった忠臣蔵の行動の裏に隠された真実を解き明かす。当時の幕府の思惑なども絡んで、つぶされるべく仕組まれた面もあったに違いないと見る人も多いはず。犬公方と呼ばれた悪名高き綱吉の時代、柳沢吉保という側近の存在も大きい。
上野介自身は決して悪い人ではなったのだ。むしろ名君とも言うべき治世を行っている。あの事件までの彼の足跡をたどると、今や憎まれているのが気の毒になる。
仕組まれた感がするこの事件の真相を知った後では、あの忠臣蔵がどう見えるか?興味深い所である。
「言い分の日本史」 岳 真也著 東京書籍 
アンチ・ヒーローたちの真相という副題である。
歴史上の人物で悪役にされている人々にスポットを当て、歴史を側面から見たところがおもしろい。代表的な吉良上野介を見ても、地元では名君として敬われているというから、何が正しくて何が間違っているかは当時の情勢と、その後の為政者たちの思惑で180度変わることもある。そうして見て行くと歴史も時に別の輝きを持つ。それは物事をあらゆる角度から見ることの大切さにもつながるものだろう。偏った見方をせずに、それぞれの言い分に耳を傾ける、寛容な精神が貫かれていて小気味良い。 
「宗教を考える」 リプリオ出版 
副題ー著名人が語る「考えるヒント」ー
 T八木誠一―キリスト教の人間観
 Uひろさちやー生活の中の仏教
 V福永光司―中国思想について
U(命の布施)の中で死も恐れるに足りずという説法は老いに向かう者に力強いメッセージになるだろう。(和顔愛語)周囲に向かって明るい笑顔が布施になるという。生き方が楽になる、この人の考え方が好き。V老荘思想は私も関心のある所だが、とくにそれを研究している人らしい話である。この中で、同じく伝来の仏教を受け入れた日本と中国の文化が、言語の違いから独自の発達をしたことが語られている。今まで何気なく接していた事柄も、こうして噛み砕いて教えられると、新しい発見がある。漢字を扱う両国ではあるが、孤立語の中国語と膠着語の日本語では解釈の違いがそのまま国民性の違いを表わす点は多いに興味を覚える所である。そして、これからの人類の文明にとって、一番重要な意味を持つのは中国思想の"道"の哲学であろうと予測する。
 このシリーズは文字が大きいのでとても読みやすい。シニア向けの本である。
「睡蓮の長いまどろみ」上下2巻 宮本輝著 文芸春秋
 主人公世良順哉は2歳で彼を置いて出ていった母への思慕を募らせる。今は著名人となった母に一目会いたくてイタリアのアッシジで静養しているという彼女の元へ他人を装って訪問する所からこの話は始まる。その時宿泊したホテルの庭で見た景色、庭の池に咲く睡蓮の花、すべてがこれからの展開につながる伏線であった。会社での思いがけない事故からサスペンスタッチに話は進む。
 睡蓮と蓮は似ているが違うのだという説は本当なのだろうか?なんにせよ、泥の中から芽を出し水上に美しい花を咲かせる花をモチーフに「因果具持」という言葉に集約される彼の母の人生にたどりつく。なぜ涙が出るのかと聞かれても困るのだが、所々で泣いてしまった私。あなたはどんな風にこれを読むだろうか。
「姫椿」 浅田次郎著 文芸春秋
 短編集。(Xiё)とはどんな動物なのだろう?「風と谷のナウシカ」に出てきたあの小さなリスみたいな動物かな?人の善悪がわかると言う不思議な動物を預かってしまった女の話。
 妻に先立たれた競馬好きの学者の話「永遠の緑」。たかが競馬と言えども、その賭け方に人生観や性格が表れる。その時々の状況が重ね合わせ、過去と現在をうまくつないで行く手法。その面白さに、ついつい引き込まれる。浅田次郎の最新作。ほろっと泣かせる所はさすが。
「できればムカつかずに生きたい」 田口ランディ著 昌文社
 インターネットでコラムを発表している作家。現代の申し子である。切り口がさっぱりしている。複雑な家庭環境をばねにして、強く生きている人の言葉には説得力がある。命のこと、地球のこと、家庭、家族いろいろなことを考えさせられた。日本社会に父性の復活が不可欠だという。子供たちに今必要なことの何かが見えるような気がする。中でも、屋久島の話やアイヌの話は興味深い。
「長崎ぶらぶら節」 なかにし礼著 文芸春秋
  長崎の貧しい猟師の子に生まれ、10歳で芸者修行に出されるサダ。つけてもらった名前は愛八。決して美人ではないが、人一倍歌がうまかった。彼女の歌には人の心を打つ何かがあった。そんな彼女の前に古賀と言う男が現れ、長崎に埋もれた歌探しが始まる。古賀に恋心を抱きながら、最後まで師弟関係を貫き通し、ぶらぶら節という名曲を発掘、世に広めた功績は大きい。しかし、きっぷの良い愛八は妹のように可愛がった身よりのない娘の病の治療に自分の収入のほとんどを費やすというような女。歌が人の心を打つとしたら、その生き様が乗り移るのではないだろうか。歌の持つ不思議な力を感じることが出来た作品である。
「だからあなたも生きぬいて」 大平光代著 講談社
(この子らいたずら電話の犯人が私かどうかはどうでもいいんや。ただいじめる口実がほしかっただけなんや……)いじめられていた時期の壮絶な苦悩をさらけだして書かれている。いじめの構造はいつも同じだ。誰か一人でもいじめる集団に立ち向かってくれる仲間がいたら、彼女も救われただろうに。一人ぼっちの寂しさは人間を心底苛む。わかるよ、その寂しさ。
でもな、いつまでも立ち直ろうとしないのはあんたのせいやで。甘えるな!と真剣に叱ってくれる人に出会った時から彼女は人生を転換する。
それからの奮闘振りは生半可なものではない。中学もまともに終えてないのに、そこから弁護士になるまでの努力がつづられる。少し引けてしまうかもしれないが、勇気を与えてくれる書。
「鉄道員」 浅田次郎著 集英社
他に短編が7つ。北海道、幌舞駅の駅長乙松。かつてここから旅だった若者が今は本社の重役になって、その力も及ばずいよいよ廃線というときがくる。雪に閉ざされたひなびた駅で頑固なまでに仕事一筋で生きてきた男。妻や娘の臨終の時にもそばにいてやれず、ひたすら鉄道員として仕事を全うしようとした乙松の前に、人形を抱いた女の子が現れる。夜、深夜、そして、次の日と三様に成長した姿を見せて、死んだ娘が帰ってきたことを知る。
「お父さん、なんもいいことなかったでしょ」「私は幸せだったよ」と言いにやってきたかのように。
他に「ラブレター」「オリオン座からの招待状」など、心打つ作品群だ。
「あふれた愛」 天童荒太著 集英社
これも短編が4つ。それぞれに心に傷を持つ人々の生に立ち向かう姿を描いている。
彼の前作「永遠の仔」を執筆中に雑誌に掲載された作品を後に加筆修正して、一冊にまとめたもの。そう考えると一連のテーマが浮かび上がる。満たされない心、癒されない心、うつろな心、それらは形こそ違え、誰にも存在するものではなかろうか。だから、彼が作中の人物に注ぐ深い愛が、私をやさしく包んでくれるこの心地良さがうれしい。
「見知らぬ妻へ」 浅田 次郎著
短編集。「うたかた」他。
ある団地で一人静かに息を引き取った老女がいる。それも現代では珍しい餓死状態で。検死にきた係官が「穏かな死に顔ですねえ、まるで微笑んでいるようだ。」と言うほどの安らかな死を迎えたその女性の過去を、回想風に描く。
窓の外にはその時期にはさぞかし見事であったろうと思わせる桜の大木が枝を広げている。その部屋へ女性の家族が越してきた当時のこと。子供達を送り出したあと一人になってボランティアの青年に世話になりながら、明日はこの思い出の桜の花を愛でながら、夫の元へ旅立とうと心を決める心情の切なさ。母親の心が痛い程伝わってくる。
「天国までの100マイル」 浅田 次郎著
主人公城所安男は4人兄弟の末っ子。父親を早く亡くし、母親の手一つで育てられた兄弟たちは皆揃って出世した。安男も一時は都内に大きな屋敷を構えるまでになったのだが、商売のつまずきで今や、妻と子供から愛想をつかされ、マリという女に養われてやっと生きているといった状態だ。そんな彼に、いきなり、母親が心臓疾患も最悪の状態になっていると知らされる。兄弟たちは誰も入院先に顔も見せず、心配している節もない。そんな状況を見て、安男がとった行動は・・・・・・・。ハラハラする展開と希望を感じさせる未来が待っているというかすかな灯り。その間に彼の心が次第に溶けていく。「Open your heart]力強い医師の言葉である。本当にこんな治療をしてくれるところがこの世にあるのだろうか。これは作者の夢想の世界なのだろうか。涙なくしては読めません。
「霞町物語」 浅田 次郎著
 短編集。写真館を営む古い家で、周囲にはもうボケているとしか思えない頑固な祖父と、弟子であり息子でもある父親との関係がなんともほほえましい。
中でも「青い火花」で撮れるはずのない祖父に写真を撮らせる思いやりを見せた父親と共に現像する作者と父親との会話「おとうさんやさしいね。」「おじいちゃんはもっとやさしいよ。くらべものにならないくらい。」このような会話が随所に出てくる。
祖母との思い出「雛の花」では背筋をしゃんと伸ばしたその姿を彷彿とさせるエピソードがあり、ほのぼのとした家族の愛。
「卒業写真」では老写真家の一途なまでに頑固な生き方が孫の目から見たままに、尊厳を持って描かれ、その文章の間に漂う深い愛情が心を打ち涙を誘う。
「地下鉄に乗って」 浅田 次郎著
 主人公真治は地下鉄で飛び込み自殺をした兄の記憶がいまだに生々しく残っている。父親と喧嘩した後で起きた事故だったことや、その後の母親の態度などから何か不信感がぬぐえない。そんな時にふと地下鉄につながる階段の途中で不思議な感覚にとらわれる。過去にタイムトリップするのだ。
そして、かつての事故にまつわるさまざまな出来事が目の前に再現され、父親の過去までが明かされる。憎んでいた父の隠された面を知って行く主人公の心の動きが実に上手く表されている。親とはこういうものだと、自分が親の立場で考えるから、心を打つ場面がある。今だからこそ理解できる心情に涙ぐんでしまう所もあった。
「珍妃の井戸」 浅田 次郎著
 「蒼穹の昴」に続いて浅田次郎の作品。「蒼穹の昴」に出てくるお妃の一人が動乱の最中に殺されたという。それを解明するべく派遣された外国の要人たちが一人一人の証言を取りながらその真実に迫ろうとする。そこに隠された真実とは。
中国人の巧みな話術とその時代の混乱とをうまく表している。聡明で美しい妃が死なねばならなかった理由とは。二転三転する状況を巧みに終末へ持っていくこの人の世界についひき込まれてしまった。
{蒼穹の昴」上下2巻 浅田 次郎著
 この人の作品は初めてだが、ぐいぐい惹かれた。近くて遠い隣国、中国。このアジアの大国のベールを一皮向いてくれた作品。
 明、清の時代、教科書では知っていたつもりだが、日本で明治維新があったように、この国も大きく変わろうとしていた。乾隆帝という偉大な皇帝の業績を追い求めながら、なし得なかった高み。蒼穹の昴はこの地を支配する人の夢であった。
 また、権力の象徴だった西太后を親しみある人間性で描いている所も興味深い。その皇后にお仕えする事になる、貧しい糞拾いの子春児。対立する立場に立たされることになる、裕福な地主の次男坊梁文秀や中国古来の科挙制度に受かり、政治の中枢に登って行った若者たち。それぞれの人生が折り重なって描かれる。それらの人々が中国の黎明期にどのようなことを考え、涙したか。それは、息もつかせぬ面白さだ。
 中国には科挙制度というエリートを選ぶ施策があり、裕福な者はそれに臨み、また一方で、宦官という男性の性器を落として、宮中に仕えることで富を手に入れようとする人々もあった。
春児は老予言者の言葉を信じて、我が手で性器を切り落とし、生死をさまよった後、母親や妹を捨てて都に出る。そして、自分の運命を切り開いて行く精神力と無私の心は読む者にさわやかな風を送ってくれる。妹玲々も梁文秀に助けられ、彼を慕いながら最後まで主人を守り抜いていく。下巻の風雲の中で、玲々が婚約者と引き裂かれる所や、兄に出会い、それと知り離れ離れになるシーンではぼろぼろと涙がこぼれた。捕らえられると知りながら、「君はここに残って難しい方をやってくれ。僕は易しきにつくが、君は生きねばならない人だ。どんな困難にあっても生き抜いてくれ。」と別れて行く復生。生まれ変わろうとする激動の時代に生きた人々の心意気が伝ってくる。
 改革派、体制派の両面を描き、読者は中立的な目で中国を見ることが出来るだろう。操り操られる人々の生き様も興味深く、絶対感動すること間違いなし!
「命の器」 宮本 輝著 
 小さなエッセー集である。しかし、この中にちりばめられた彼の言葉の数々に私は深く心を打たれる。
「命の器」では、「運の悪い人は運の悪い人と出会ってつながり合っていく。・…中略・・…どんな人と出会うかは、その人の命の器次第なのだ。」と書かれている。そんな捉え方に共感。
 「貧しい口元」では目鼻立ちの美しさの底に隠された品性の粗末さが口元に表れるという。目が心の窓だとすると、口は心の玄関である。「口元は常に毅然とさせておけ」心したい言葉である。
「リトルトリー」 フォレスト・カーター著 和田 たかお訳
 チェロキーの血を引く祖父母に引き取られたインディアンの子、リトルトリーが自然を友とし、大地の声を聞き、動物たちと共存して生きていく姿に感動する。現代人の心にさわやかな風が吹き抜けるだろう。
 ークリスチャンにだまされるー
 ある日町に出かけたリトルトリーが、大切に貯めた,なけなしのお金で老いぼれた牛を買わされる羽目になり、その牛を引いて帰る途中、それは倒れて死んでしまった。祖父は言う。「なあ、リトルトリー。お前の好きなようにやらせてみせる。それしかお前に教える方法はねえ。もしも子牛を買うのをわしがやめさせてたら、お前はいつまでもそのことをくやしがったはずじゃ。逆に買えと勧めてたら、子牛が死んだのをわしのせいにしたじゃろう。お前は自分で悟っていくしかないんじゃよ。」
 寡黙な祖父から人としての道を教えられて行く幼いリトルトリーがとてもいとおしい。
見てごらん、あの山を
うねりながら高く高く盛り上がる山を。
あれは新しい朝を孕んだ大地のお腹
今彼女は真っ赤な太陽を出産するところだ。
……(中略)・・…
せせらぎのハミングは大地の愛の子守歌。
祖父とぼくは今
ふところに抱かれた家へ帰ってゆく。
この詩に代表される全編を流れる歌が涙と共に心の奥深く染み渡る。

「沈まぬ太陽(全五巻)」 山崎豊子著
 主人公恩地の過酷な境遇は「大地の子」を思わせる。やむを得ず引き受けた組合の委員長がきっかけで、その後の人生が180度転換して行くのは哀れ。彼なりに信念を通す生き方に共感も覚えるが、上司の冷徹な処遇には背筋が凍る思いだ。現実にこんな事が起こりうるのだろうかと。そして、第三巻ではかの有名な日本航空の墜落事故がからんでくる。日本に戻された恩地が遺族のお世話係に配属され、その悲惨さを共にしながら、巨大企業の問題を訴えている。
「美しい人」 椎名鱗三著
主人公は関西の私鉄に勤める実直で不器用な男。回りからはその姿勢を「おかしな奴」といった目で見られるほどだ。単純に電車が好きで、仕事が好きなだけなのに、勤勉さが人と一線を画す様子がありありと浮かんでくる。現実の世界にもありそうな。時は戦争へと向かうが、仕事を続けたいことと自分を大切にしたいという気持ちが彼を故郷に戻す知恵を働かせる所などは並みのヘンコツではない。逃げて行った妻が窮地に陥っているのを見て、引き取るところなども、彼なりの芯の通った思想を感じる。
起伏のある作品ではないが、静かに読者に語りかけるものがある作品。
「柔らかな頬」 桐野 夏生著
カスミという不思議な魅力の持ち主が生まれ故郷の北海道を捨て、東京で出会った男と家庭を持ち、二人の女の子ももうけ、女の喜びに無縁の地道な生活をしていた。
そこへふと飛び込んできた変化の兆し。それは誰にもある風の流れ。それが激流になり、戻れぬほどの勢いで進んでいく様が、経験した事のない私たちにも分かるのが不思議な感じだった。
カスミの気分、愛した石山という男との逢瀬。そして、大胆にも別荘地で両方の家族が同じ屋根の下にいながら、密会をする情熱。
しかし、その後カスミの娘が失踪するという事件になり、二人の仲は終わる。そして、カスミは娘を捜し続ける漂流に出る。娘を奪ったのは一体誰だったのか。
協力者として現れた余命幾ばくもない内海という元刑事が、命の最後にカスミとともに事件を解く案内人になり、カスミは彼に心中を告白することで次第に心が開放されていく。そして、それと共に、彼が見る夢の中で真実が解き明かされていく。
「家族狩り」 天童荒太著 
連続して起こる殺人事件。偶然にその現場を目撃する事になる俊介、すさまじい悲惨な状況に息を呑む。犯行は自殺をしたその家の息子の家庭内暴力の果てとも見えた。
この事件を担当する馬見原刑事の家庭にも病気の妻と父を許せない娘の葛藤があった。馬見原に助けられ、心の支えにしている女とその幼い息子との生活を断ち切れない苦悩。
それと平行して、俊介が惹きつけられた絵を書いた少女、亜衣の家庭にも問題があった。
彼女を救いたいと願う心理療養士遊子等の登場人物に、シロアリ駆除の大野が現れ、話が複雑に展開する。
家を土台から崩していくシロアリをからませて、家庭内の問題を提起している作品。子供が真に欲している愛とは・……を考えさせられる。
「告知」 竹沢健一著 マガジンハウス
 外科医の著者が妻のガンを知った後の苦悩と親子の絆、夫婦の絆を強く感じさせる日記。40歳の若さで家族と別れなければならない母の苦脳と、送らねばならない子供たちの心情を思うと涙がとまらない。告知をする事で夫婦として互いをより深く理解していく過程は教えられる所が多かった。もし、私が同じ立場になったら、こんな最後を迎えられるだろうか。
「白の家族」 栗田教行著 
 天童荒太氏の別名。第13回野生新人賞受賞作品。他に「夜に風を抱け」「エイジアン ボーイ」も収められていた。
表題の短編は、誠、正二、香の幼い3人兄弟が寝たきりになった痴呆の母親を看病しながら生きている日常を描いている。
 生活の為に麻薬を計り、袋詰の後、アルバイトの店からひそかにやくざの所へ運び込むという危険な仕事をしている兄弟。寝る時間をさいて、くたくたになりながら「後3年でこの仕事から解放される……」かすかな希望にすがりつつ、早く彼らの手から自由になるために弟の反抗に手を焼きながら、身体を酷使する兄。手伝わされていると不満を持つ弟も、兄の嫌がる母のおむつ替えをし、身体から抜けない「臭いニオイ」に耐え、幼稚園の妹の世話をする。
 貧困の生活の中で兄弟がなぐりあったり、ののしりあったりしながら力強く生きていく姿を描いている。安穏に生きている者にはガツンと一発頭を殴られた気がする作品。
「永遠の仔 下」 天童荒太著
  下巻では老人介護の問題や、生きる意味など、深く考えさせられた。
17年前の事故が次第に霧の中から浮かび上がるように、明らかにされていく。そして、17年の歳月に3人が歩み築いてきた生活の影が彼らの再会で微妙な影を落とし始める。
  生きると言うことは生易しいことではないが、ただその人が生きているだけで救われる気持ちになることもあるのだからと励ます場面では、主人公、優希を励ます老婦人の言葉に、胸が熱くなった。
 痴呆の親を預かってもらう施設を訪ねる笙一郎と親切な施設長の話の中で、人は皆いつかは老いていくのだから、どの子も同じように世間で育てる感覚で、老人介護もそうありたいという現実の願いが垣間見られた。
 著者の天童荒太氏はサスペンス大賞や山本周五郎賞など数々の受賞暦がある。読者がまさにその場所にいるような気にさせる巧みな自然の描写、登場人物への親近感を呼び起こし、彼の世界に入り込むと、自分とはかけ離れた体験者たちなのに、とても身近な人たちのように感じられた。彼らと心を通わせて、共に苦しみ、悩み、救いを求めたい気持ちになった。引き込まれるように……
「永遠の仔 上」 天童荒太著
  「永遠の仔」がおもしろい。厳しい境遇に置かれた子供達が、大人になるまでその時の傷を引きずり苦しむ様が、優希、笙一郎(モウル)、梁平(ジラフ)3人3様の過去と現在を交錯しながら、その時々に起きる事件を次へ次へとつないでいく手法は、息をつかせず、引き込まれる。
 別の場所で起きた殺人事件が実は一本の糸で結ばれる……・。よくあるケースだが、その裏に隠された人々の心の底にあるものを映し出そうとする作者の丁寧な描写はとても説得力がある。どんな親でも、子どもにとっては最愛のそして、最高の保護者なのに、不幸な運命に遭遇した人々の苦しみが描かれている。望んだわけではなく、そのような環境に置かれたのは、彼らの責任ではないのに、それによるどうしようもない心の歪みから来る犯罪を犯してしまう子供達。
  親は一生懸命育てたというけれど、外からでは計り知れないほど傷つく彼ら。子どもなりの感情、憎悪や、嫌悪、諦めや抵抗、自分の非力故に服従するしかない日々の葛藤。それらが、痛い程こちらに伝わってくる。
 別々の人生を歩んでいた主人公たちが17年目に出会い、そこから起きる新たな事件。どきどきする展開に目が離せない。友情と愛情をからませて、それぞれに立派な社会人として活躍しているにもかかわらず、未だに心の底に潜む過去の罪におののいている原因が次第に解き明かされていく過程が興味深い。子どもの心理を過去の小学6年生の時代にさかのぼって記されている所は、12歳の少年少女の言動にはかけ離れているように思うのは、私が余りに平穏な生活を送り、感覚的にも鈍い少女期を過ごしたせいか。
 心に深い傷を受けた人々に対する作者の温かい眼差しを随所に感じ、社会に叫ぶ悲痛な声が聞こえてくる。
「二重らせんの私」 柳沢桂子著
 生命科学者の生まれるまでーという副題である。中学生時代に自由研究「はつか大根の観察と標本」で校内最優秀賞を獲得するというあたり、その着眼点も理科系苦手の私には「さすが!」と感心するばかり。自然の不思議に真正面から取り組む真摯な姿勢が隅々に感じられる。
 大腸菌の研究から遺伝子へと彼女の辿った道筋がわかりやすく書かれている。そして、母親として、人間として、接する人々の生き方から学ぶ事も多い。
科学者と言えども文化に造詣がなくては宇宙の心理を読み取ることは出来ないという。たしかにそうだと思う。
 「一つの事実に出会ったときに、そこからどれだけのものを読み取れるかという感性は、よい芸術に接する事によって培われる」
 「科学的思考というのは、決して論理の積み上げだけで出来るものではなく、直感とひらめきが大切である。それを育てるものが芸術の中にある」
 「DNAは地球上に生命が誕生して以来書き継がれている、地球上最古にして最新の古文書である。それには「我々はどこから来たのか」「我々は何か」という事が書かれている。しかし、その文書には「われわれはどこへいくのか」という事は書かれていない。さらにこの文書には「人間はいかにあるべきか」という事も、人間存在の意味も書かれてはいない。目先の欲に振り回されて、人間たちが自己を見失った時、私達は取り返しのつかない失敗をおかすであろう。今こそ、宇宙スケールで人間存在の意味を問い直さなければならない。」と作者は訴えている。心に染みる一冊だ。
「愛こそがすべて」 柴門ふみ著
母親としての彼女の側面を垣間見るような話題の数々。その中で、きらっと光るものがあるのはさすが。文章を書くことを生業にしている人だけある。子どもをみる目が笑いを誘う。
小見出し
結婚を幸せ列車にするために    
愛する能力を磨くために    
子育てを自分育てにするために    
素敵な自分に出会うために
これだけでも読みたくなるでしょう?幸せな気分にしてくれますよ。
草原の椅子ー下巻 宮本輝著
 帯にある「人に傷ついた人のために」
まさしく現代の人々に勇気を与えてくれる書。
 優しい心根の4人が向かうのは砂漠。シルクロードのタクラマカン砂漠とは、どの辺にあるのだろう。そこで4人が見たものは・・・・・・・私も行ってみたい。そしたら、少しは希望が持てるかな。荒涼と見える砂漠の光る場所へ幼い圭輔を行かせる場面に、目頭が熱くなった。
 人生にはさまざまな事が待ち受けている。私達はそれを乗り越え生きていかねばならない。投げ出したり、諦めてはならないと。 
草原の椅子ー上巻 宮本輝著
 宮本輝の最新作、初めは入りにくかったけど、読んでいる内にぐんぐん引き込まれて、やっぱり輝様だなあ。
 20数年連れ添った妻と別れ、娘と暮らしている男の生活に訪れるさまざまな出来事を通して、人の優しさや温かさを読み手に考えさせ、親と子との関係でも、彼のメッセージが伝わってくる。
 仕事が縁で付き合いだした富樫重蔵は「地の星」の松阪熊吾と重なる。
中年の男性が二人で「美しいもの、気持ちのいいものを撮ろう」と語り合う所、自閉症気味の幼児を預かる羽目になり、知らず知らすその子に愛情が沸いてくるところなど、いつかしら忘れかけている人の心の優しさを蘇えらせてくれる。
 さて、下巻では話がどう展開するのか楽しみだ。

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